Midnight Chaos@blog

時代を超えて魅力的なスタイルやアイテムに焦点を当てます。クラシックなスタイルやヴィンテージファッションの魅力を紹介しながら、時代を超えて愛されるスタイルの秘訣を探求します。

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  • 2021/06/28 (月) 15:54

さる3月25日、BS朝日で放映されたドキュメンタリー番組を観て、魂に鋭い一撃を喰らった演出家による文と、写真界の巨匠によるヴィジュアルが織りなす大人のダブル・エッセイ。ますます快調!文は河毛俊作、写真は操上和美。

图片描述

■私が子供の頃に、戦場のリアルというものを教えてくれたのは1枚の写真だった。それは父親が持っていた「ライフ」誌に掲載されていたもので、砂地のような地面に兵士がうつ伏せに倒れているのを俯瞰で撮ったものだ。兵士は死んでいる。兵士の体は奇妙に捻じれ、ダンスを踊っているようだ。そして体の下には血溜まりが広がっている。モノクロなのでベットリとした黒い油を流したように見える。幼かった私はショックを受けた。どこの戦場かも、誰が撮った写真かも分からなかったが、この1枚の写真から私は戦争のリアルと写真というものが持つ力を知った。

3月25日。毎号素晴らしくエッジの効いた写真を撮ってくださる操上和美さんを追ったドキュメンタリー番組を観て、そのことを思い出した。番組の中でインタビュアーが、「操上さんは人と別れるために写真を撮りますか? 人と出会うために写真を撮りますか?」という質問をした。

操上さんはほぼ即座に「人と出会うために写真を撮る」と答えた。その様を見て私は、『ああ、この人は巨匠と呼ばれる存在である今もなお、自分を飢えて渇いた状態に保てる人なんだなあ』と思った。しかも、ごく自然に……。最近、新しい出会いに臆病になっていた私は魂に鋭い一撃を喰らった。

操上さんのカメラが捉えたポートレートは特別だ。例えば番組でも紹介された勝新太郎のポートレート。そこからは妖気が立ち上る。その正体は益荒男振りと手弱女振りが混沌としたアンドロギュヌスの神話だ。その1枚の写真からは勝新太郎の姿を借りた芸術の神の姿が垣間見える。それを操上さんのカメラは捉えている。このポートレートは凄まじい。そして静寂を感じる。

私はこの写真を見ると、ミック・ジャガーがコンサートでブライアン・ジョーンズ追悼のために朗読した「かれは死なぬ かれは眠ったのではない かれは生の夢からめざめたのだ」というイングランドのロマン派詩人パーシー・ビッシュ・シェリーの詩「アドネイス」の一節が脳裏に響く。優れた写真というものは一瞬に永遠の命を与える。そして、それができるのは勇気ある人間の目だけだ。このことは今のように写真を撮るということが日常になった時代には重要だ。

■私は演出に迷いが生じた時、ロバート・キャパの「写真が物足りなければ、もっと被写体に近づけばいい」という言葉を噛みしめる。

■3月24日、田中邦衛さんが亡くなった。私にとってクニさんは画面からその場の匂いや温度を感じられる役者だった。私が好きなのは『仁義なき戦い』シリーズの槇原政吉役だ。クズ揃いのキャラクターの中でも他を寄せつけない(!)クズの中のクズ、見事とも言える卑怯者だ。『仁義なき戦い』の凄みは、1級の"ヤクザ映画"でありながら、「ヤクザなど人間のクズの集まりであり、どんなことがあってもヤクザという生き方を選ぶべきではない」と雄弁に物語る"反ヤクザ映画"になっているところだ。健さんの映画を観てヤクザに憧れる人はいても、『仁義なき戦い』を観てヤクザに憧れる人はあまりいないと思う。マッチョ映画のフリをした反マッチョ映画とも言える。そうなったのもクニさんや金子信雄、加藤武など卑怯者を演じた俳優たちの好演があったからだ。それは悪役の美学というのとも違う。もっと人間臭く、醜悪で腐臭が漂うようなイヤラシサ、ヤルセナサを感じさせた。彼らが見せたのは東映の花形スターたちに対する新劇出身者の意地だったのかもしれない。

クニさんが同じ深作欣二監督の更にディープな"反ヤクザ映画"『仁義の墓場』で演じた、どうしようもない麻薬中毒患者、小崎勝次もヤバかった。まともな台詞など一言もないのに、小崎という男の全人生が伝わってきた。私は『ゴッドファーザー』の中でマイケルを裏切り、殺されることになる次兄フレド・コルレオーネを演じたジョン・カザールが好きだ。クニさんには同じ匂いがある。

そんなクニさんの最後のテレビドラマ出演が、私が監督した『黒部の太陽』(2009年)であったことは感慨深い。ご冥福を御祈りいたします……。

■2月某日夕刻、どうしても冬が終わる前におでんを食べたくて1年以上ぶりで銀座7丁目の「やす幸」に向かった。ガラガラと引き戸を開けた私は目の前の光景に愕然とした。通常なら、長いカウンターの向こうでおでん鍋が温かい湯気を立て、数名の板前さんが立ち並び、おでんを皿に取ったり、お酒をお燗したりしている筈だ。

しかし……そこには誰もいない。おでん鍋すらない。要するに何もない。手入れが行き届いた閉店後の調理場の光景が広がっている。ガラーンと清潔で寒々しい。店の奥に仲居さんが一人だけ。いつも通り着物姿だがマスクをしてディスポーザブルの手袋をはめている。少し戸惑いながらおでんを注文すると、奥の調理場から皿に盛って運んでくる。何か禁制品でも頼んだかのような不思議な気分になる。お酒も目の前でヤカンからコップになみなみと注いでくれるのではなく、普通にお銚子で出される。味は変わらず満足できるものだったが、一番辛い思いをしているのはお店であることは承知で言えば、おでんを食べる楽しみは半減していた。

私は少し苦い酒を口に含みながら『これがCOVID-19禍の銀座か……』としみじみ思った。店を出ると、まだこれからという時間なのに夜の銀座は息を潜めてひっそりとしている。私の脳裏を「占領下」という文字が過った。

■4月12日、シアターコクーンで上演した『フラガール』の千穐楽を無事に迎えることができた。打ち上げは勿論、缶ビールの乾杯もできないが、こんなに嬉しい千穐楽は初めてだ。私は劇場に入ると開演前の舞台袖で自分の写真を撮った。私が自撮りをするのは珍しいことだ。何故かこの朝の顔を残しておきたいと思った。そして呟いた。

“SHOW MUST GO ON.”

次の冬は「やす幸」のおでん鍋から湯気が立ち上っているといいな……。

かわけ・しゅんさく | 演出家/映画監督。ただいま、豊川悦司主演の映画「仕掛人・藤枝梅安」の来年の撮影に向けて、粛々と準備中。

くりがみ・かずみ | 写真家。北海道生まれ。1965年よりフリーで活動。現在も一線で活躍し、受賞歴多数。

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